山口県の近世/近代史
   

山口県といえば長州藩!いざ調べてみると...、意外に分からないことが多い

長州といえば毛利氏、吉田松陰、高杉晋作、薩長同盟、倒幕、明治維新、木戸孝允、伊藤博文等々が、思い浮かぶでしょう。 「萩」という町を知っている方も多いでしょう。藩政時代の古文書も他県よりも各段に多く残されており、多くの歴史書や郷土史の本、ガイド なども刊行されています。かなりの面で理解が進んでいるように見える山口県の歴史ですが、例えば素朴な疑問
1. 長州藩(萩藩)の城は萩にありました。そこには城下町が形成され、毛利氏の家来が住んでいました。では、地方の村には武士はいないのか?
2. 日常の武士の生活はどんなものだったのでしょうか? そもそも武士とは?
3. 天保時代の記録を見ると、どこの村でも農民は明日をも知れぬ貧しい生活であったかのように記されています。でも、それは本当?

 例えば1.について、『在郷諸士(ざいごうしょし)』と呼ばれる藩士や陪臣(ばいしん)が地方のあちこちに住んでいました。なぜ城下に住まないのか? 地方でどんな暮らしをしていたのか?村人(例えば農民)との関わりはどうだったのか?これらを明確に答えられる人はいないでしょう(多分)。 私はたいていの事は判っているものだと思っていましたが、『郷土史』の範疇を越えて、学問や仕事として歴史に携わっておられる方々とお話をしたり、 その研究を拝聴させてもらっているうちに、そしてそうした方々からも、実は判らないことが多いということを教えられました。特に有事(反乱や災害、 事件など)よりも、平時のこと。確かに新聞には『今日は平穏な日々で、Aさんはいつものとおり..』なんて記事があるはずがないように、日常のことは 記録に残りません。しかし、それが半世紀も経つと、だんだん判らなくなってきます。それを知るには、例えばどんな制度があって、どのような管理が されていたのかを明らかにすること。これは古文書が解き明かしてくれるでしょう...残っていればですが。でも実態はどうだったかということも重要で、 これはかなり調べるのが難しい問題です。しかし、平時の実態を理解することが、有事の理解につながると考えるのです。  こうした問題意識から、断片的に取り組んでいるテーマばかりですが、近世/近代の平時の分析に主眼を置き、あれこれ調べたことを掲載していこうと思います。

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