又々家来、育について


又々家来とは?


家来の家来のことを陪臣といい、又家来ともいいます。よって又々家来とは、陪臣の家来です。
萩藩の又々家来とは、萩藩士に仕える家来の家来になります。そんな者がいたのかい、と思われるかもしれませんが、いたのです。しかし、その記録は非常に少ないのが現実です。

明治3年頃の帰農者関係の史料があり、これによって初めてまとまった又々家来の存在が明らかになります。そして、帰農者の名簿に掲載されるということは、彼らは藩政時代は農民では無かった、ということにもなるのです。

どのくらいの陪臣にどれくらいの家来がいたのか、そして彼らはどのような役割を担っていたのか。そのあたりの調査は現在ゆっくりと進行中です。


私の先祖は萩藩の又々家来と伝えられています.....なんて人はいないでしょうが。



育とは

「はぐくみ」と読みます。本来はその家の人間ではないものの、養子縁組の形でその家に関係することで、身分的な格を上げようとするものです。藩士の育になることは禁止されたようで、多くは萩藩陪臣の育になっています。また、町医者が萩藩陪臣の育になっている例も多く見られます。

育みの関係は明治初年の帰農で解消されますが、帰農しなかった者は「附籍」という形で戸籍編制後もその家の戸籍に加えられています。



項目を設けたわりには、この件に関して今の時点で書けることはこれくらいです。実際のところ、ほとんど研究も進んでいない領域で、何とか実例を集めていき、形になるものにしたいと思ってはいますが....。