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古文書の保存について

保存のために

今現在、『古文書』を所持されている場合について、今後の保存ということについて書いてみました。

● 諸家文書の実態
 個人の家で保管されている文書を一般に「諸家文書」といいます。私がこのような趣味をもってから、いろいろな家で所持されている『古文書』を拝見する機会が多くありました。これらは大切にされている場合もあれば、「昔からあるのでまあ捨てないでとっておいた」とか、「ワシが死んだら捨てられるだろう、ははは」とか、その状況は色々です。

●ところで、『古文書』とは?  「ワシが死んだら捨てられるだろう、ははは」のタイプの方に、公的な機関での保存をお勧めすると、「な〜に、こんながらくた」という返答が多く聞かれます。これは本心なのか? おそらくは、そんな所に納めて、何の価値がある、ということなのでしょう。しかし、『価値』は無限に広がるかもしれません。 以前、ある家の文書類を見せてもらったときに、「過去帳」と書かれたノートの後半に、法事のときに出した料理の献立と招待した人の名前が書いてありました。当主におことわりをして写真撮影をしたのですが、当主は笑いながら「しょうもないものを」と言われていました。ここに書かれていたのは明治初期のものでしたが、私はその当時、その村の法事の実態を知る史料になると思ったのです。そんなことを調べる人がいるかどうか、それは分かりませんが。また、先祖が借金をしたという言い伝えから、古文書=借用書、というイメージをもたれている場合があります。しかし、実際に見てみると借用書は2,3点で、その他、数字が色々書かれている文書は、それぞれ当時の生活の実態を知るために貴重な文書である場合があります。

 では、どこまでが古文書なのか? これは江戸時代だから古いので貴重、これは昭和だから貴重ではない、ではなく、連続性が大事であり、まとまっている場合はできればすべて保存の対象と考えることにしています。

●保存のために、行動してください!
 「箱に入れ、防虫剤を入れ、扱いは丁寧に、書き込まないように、コピーを何度もとらないように....」ということをここで書くつもりはありません。現在、その価値が分かっていて、これからも所持していこうと思われる方は、それなりに調べて大切にされるでしょう。

深刻な状況の方もあると思います。自分は大切にしてきたが、若い者は興味がない。何とか残したい!

 また、「昔からあるのでまあ捨てないでとっておいた」、「ワシが死んだら捨てられるだろう、ははは」の方々も、これらを後世に残し、また史料として活用されるならそのほうが、と思う気持ちが少しでもあれば、保存のために行動してください!

 まず考えられるのは、公的機関への寄贈、寄託です。一般には公民館、歴史資料館、図書館、博物館、などがありますが、諸家文書の価値を理解し、保存し、その活用を実現できるか、となると、実情はそれぞれです。

 ここで、山口県には日本で最初にできた文書館である 山口県文書館という機関があります。ここでは、山口県に関する古文書の情報、収集、保存、活用に関する業務を広く行っています。

 私事ですが、数年前、文通などで情報交換していた郷土史家のおじいさんが亡くなられたときに、ご自宅を訪ね、ご遺族と相談してその資料などを山口県文書館に寄贈したことがあります。また、10年以上前に旧家の老夫婦に古文書を見せてもらったのですが、その後、ご主人が亡くなられ、奥さんも施設に入られました。その家に時々お見えになる県外在住の息子さんと会い、蔵にあった古文書を山口県文書館に寄贈することをお勧めしました。今では山口県文書館の諸家文書の一つとして、目録に組み込まれています。

詳細をお知りになりたい方は、ここからメールでご連絡ください。 

お役に立てればと思っております。



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古文書の整理

  • Bさん所蔵の古文書を例として
文書箱

令和〇年にAさん(と仮にしておきます)の先祖探しのお手伝いをし、萩の各所をご案内した際、古い親戚(Bさんとします)が萩に住んでおられ、古文書をお持ちという情報を得ました。それで、AさんとともにBさんのお宅をお訪ねし、木箱(右写真)に入れられた現物を拝見しました。んー、これはすごい!




中身

ふたを開けると、古文書がかなり入っていました。「輝元様」と書かれているが...?

 ※ご子孫が特定されないよう、写真に手を加えています。

中身2





輝元







本当だ! これ(右写真)は紛れもなく毛利輝元の花押です。これはすごい!『萩藩閥閲録』で調べると、この判物(はんもつ)が載っています。『萩藩閥閲録』は萩藩の歴史学者の永田政純が藩主毛利吉元の命を受け、藩内の諸家が所蔵している文書や系譜を調査、掲載した古文書集です。調査は享保5(1720)年から6年間をかけて行われたのですが、その原史料となった判物をご子孫が大切に伝えられてきたということです。感動というか、感激! 

 ん? 秀就とあるが...。

秀就

本当だ! これ(右写真)は紛れもなく毛利秀就の花押です。寛永16年(1639)のものです。これも『萩藩閥閲録』にありました。

 この家は萩藩の上級藩士だったので、藩のお役関係の文書の控えがあり、その他、複数の系図、家督相続関係の願書などがありました。
 Bさんと色々お話ししているうちに、これらの古文書の管理がむつかしくなって、できれば公的機関への寄贈をご希望とのこと。後日、再度、Bさん宅をお訪ねし、古文書を箱ごと預かってきました。

封筒



一点ずつ、封筒に入れました。





目録



文書の点数はおおよそ100ありました。でもって、目録を作成しました。あとはこの家の解説や所有者の情報、この文書を預かった経緯などをまとめます。所有者が希望される公的機関に連絡し、これら一式(箱も)を預け、契約の準備をお願いします。

 公的機関に入れることで、いい環境で文書が保管されますし、一般に閲覧されることで、研究に活用されることになります。家宝として個人で持っておくというのもありですが、それが難しいときは、考える価値が十分ある方法といえます。Bさんとしても、公的機関にB家文書としてある、ということが安心につながります。

 山口県限定ですが、こんな感じのお手伝いをご希望の場合は、お声がけください。




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