萩市近郊の旧家から戴いたふすま (その2)
さらにふすまはがしを続行!
まずは枠をのけ、「とって」を外す。 | |
早くも下から文書が流出! | |
これは文書が詰まってそ〜う。 |
|
梨羽、国司、赤川、益田という名前と花押! これだけで萩藩と分かる重臣といえる面々。 |
|
村上亀之助は村上水軍の流れの萩藩士。 | |
出るわ、出るわ。 | |
風がふくと、「助けてくれ〜」 状態。 | |
時折、強風がふくので、とりあえずゲットした文書は自宅の玄関に避難。 わしずかみにして、ポイ、という感じ。 |
|
水につけなくてもはがれるものが多かった。 はがれにくいものは水中へ。 |
|
やっと半分。裏も多いそう。 | |
強風の中、暑い日差しの中、ふすまはがしは何とか終了しました。 水につけたものは、はがした後に新聞紙にはさみ、アイロンがけをしました。 |
|
こんなにクチャクチャになっていても... | |
アイロンをかければ...! |
そして、今回の収穫!
これは大量。そして、量だけではない。 | |
たとえば、これ。 差出人は洞春寺(毛利元就の菩提寺)住職。宛名は清水美作。清水美作は萩藩の重臣(寄組)で、幕末(文久3〜元治元年)に『当役』という萩藩の江戸藩邸でのNo.1の役職を勤めている。そのためか、「大殿様(=毛利敬親)」、「若殿様(=毛利元徳)」、「公方様(=将軍)」という文字が点在している。 これはすごいかも! |
ところで、今回のふすまにあった文書はどのような物なのか? ◆ 一つは「最近の作業1」でもあったような帳面をばらした物。今回も半数はこれでした。おそらく、ふすまの持ち主の方が、ふすまの張り替えで貼られた物でしょう(実際は古い紙の上に重ねて貼る)。今回は綴じ穴から少なくとも2つの帳面からばらされたものと考えられます。 |
上の綴じ穴は ● ● ● ● 下の綴じ穴は ● ●● ●● ● |
◆ 今一つは武家の文書類。それも萩藩寄組 清水家の文書です。 |
このホームページの『ふすまの下張りは史料の宝庫?』の『解読』のところで、萩藩陪臣データベースを駆使してやっと清水家の家来に関係があることを突き止めたのですが、このふすまは「清水美作」という宛名の文書が出るわ、出るわ、で、だれが見ても清水家に関する文書です。 こっちのふすまを先にはがしていれば、あんなに悩むことは無かったのに...。 |
|
その他、難波、白井、原という宛名が見えますが、彼らは清水美作の家来です。 |
ここに見える難波傳兵衛(=伝兵衛)は清水家の筆頭家老、原対次郎は次席家老です。この二人は清水家の領地のあった熊毛宰判立野村(現在の光市立野)に住んでいたのですが、白井という人物、彼は当島宰判福井村に住んでいました。これは私がふすまをもらった家がある地域に非常に近い! じゃあ、白井家の文書か? といわれると断定はできませんが。 これはすごいふすまだった。 同じ家の同じ面で使われていたふすまなのに、ものによって入っている下張りのジャンルが全然違う...。 ということで、次に期待! |