萩藩関係者の名簿・系図などの活字本
ここでは、萩藩に関連する実名情報を得たい場合、比較的容易に利用できる活字化された本について、ご紹介します。
●分限帳
家来の名前と禄高を書き連ねたもの。年齢や嫡男名の他、住居や領地(給領地)も書かれていることがあります。分限帳に載っていれば萩藩士ですが、萩藩には「無給帳」というものがあります。これは分限帳が下地知行を給与形態とする(禄高制)藩士であるのに対し、扶持米銀などで支払う形態であった者を記載したものです。分限帳になければ無給帳を見ることになりますが、足軽などはひとまとめにして、「○○組 ○人」と書かれ、実名が書かれないことが多く、苗字がない場合もあります。
1.『資料毛利氏八箇国御時代分限帳』
岸 浩編著 発行者:マツノ書店 昭和62年発行 561頁
底本は戦国時代、毛利氏が中国地方の八ケ国(安芸、周防、長門、備前、石見、出雲、隠岐、伯耆)を支配していたころの分限帳(八箇国時代分限帳)で、毛利氏の天正検地をベースに作成されました。
毛利氏は江戸幕府となって、二ケ国(周防&長門=山口県)に移封されたので、当時の家臣団はある程度の縮小化がなされています。よって、この分限帳に載っているすべての家来がそのまま萩藩士になったわけではないので、注意してください。
2.『嘉永改正いろは寄 萩藩分限帳』
萩郷土文化研究会編 発行者:萩市郷土博物館友の会 昭和43年発行 314頁
底本は萩市郷土博物館蔵の分限帳(嘉永改正毛利家分限帳)です。分限帳の改正時期については、嘉永5(1852)年の末頃とされています。一門、永代家老、寄組に続き、大組以下の藩士がその名の通り、姓名のイロハ順に記載されており、禄高、家格、嫡男が書かれています。「分限帳」とありますが、「無給帳」と合体した形式で、御雇細工人までフルネームで書かれていますが、足軽、中間は実名はなく、人数のみです。
3.『萩藩給禄帳』
樹下明樹、田村哲夫編 発行者:マツノ書店 昭和59年発行 836頁
底本は安政2(1855)年の分限帳と無給帳で、これに対応づける形式で、明治3(1870)年の分限帳が掲載されています(明治3年の無給帳は掲載されていません)。末家、一門、永代家老、寄組に続き、大組が各組ごとに記され、以下も家格ごとに書かれているので、幕末〜明治期の家臣団の構造も理解できる史料です。ここでも多くの足軽、中間などは実名がありません。索引には(大正期人名)の欄があり、多くはないですがここに記載がある家もあります。
4.『−天和2(1682)〜3(1683)年− 萩藩城下町の絵図に見る人名簿及び住所録』
阿部次男編、発行 平成2年発行 118頁
萩市郷土博物館、羽仁家、および山口県文書館が所蔵している萩城下町絵図を底本(底図)とし、絵図に書かれている住居の名前を当時の分限帳と対応づけて編集したもの。藩士の名前から、萩城下の屋敷の位置が分かります。
5.『萩城下町絵図にみる分限帳 -文化・文政年間』
阿部次男編、発行 平成元年発行 210頁
須佐益田家(永代家老)と寄組堅田家の家来(陪臣)であった山田家が所蔵されている萩城下町絵図を底本(底図)とし、絵図に書かれている住居の名前を寛政〜文政年間の萩藩分限帳(萩市郷土博物館蔵)と対応づけて編集したものです。藩士の名前から、萩城下の屋敷の位置が分かります。
●系譜
すばり! 家来の家の系図、家系図です。毛利家では、家来に系図の提出を命じています。元文、寛保、延享年間(1730〜40年代)に提出させたものは古譜録、明和、安永年間(1760〜70年代)のものは新譜録に大別され、家によっては享和、天保期(1800〜1840年代)にも追加提出しています。
「江戸末期や明治までつながる系図はないのか?」との声をよく聞くのですが、残念ながらありません。
それでも、「天保だったら、明治維新まであと30年。場合によっては戸籍とつながるかも...、」との期待もあるでしょうが、戸籍につながることはまずありません。それは、頻繁に行われた改名と戸籍編成時の大規模な改名が原因です。
1.『近世防長諸家系図綜覧 付 新撰大内氏系図』
田村哲夫編 発行者:防長新聞社 昭和41年発行 334頁 後にマツノ書店が復刻
掲載されているのは萩藩主毛利家、末家、一門、永代家老、寄組の計76家で、これに大内氏の系図を加えたのみです。底本は毛利家文庫の系譜類、巨室類、譜録類等ですので、多くは幕末までの記載ですが、家によっては明治、大正時代の記載があります。
2.『萩藩諸家系譜』
岡部忠夫編 発行者:琵琶書房 昭和58年発行 後、マツノ書店が復刻(平成11年
底本は毛利家文庫の系譜類、巨室類、譜録類で、これに閥閲録や各家の譜録による解説を加えた本です。構成は本姓に分類されており、清和源氏(43家)、村上源氏(1家)、嵯峨源氏(1家)、宇多源氏(9家)、桓武平氏(32家)、藤原氏(62家)、橘氏(2家)、越智氏(3家)、安部氏(2家)、紀氏(2家)、小野氏(3家)、湯原氏(3家)、中原氏(3家)、大伴氏(1家)、中臣氏(1家)、物部氏(1家)、長谷部氏(2家)、大江氏(20家)、菅原氏(2家)、三輪氏(1家)、大神氏(2家)、多々良氏(10家)、三善氏(3家)、未詳家系(2家)、新渡来帰化族(3家)の記載があります。多くは幕末までの記載です。
●名簿類
思いつくままに、活字化されているものを挙げてみました。これからも追加していきます。
● 一番多いのは幕末の諸隊関係の名簿、および幕末維新の殉難者の名簿です。
ここで、注意! 幕末のこうした名簿は間違いが大変多い。10年以上前に幕末維新に関わった者のデータベースを構築しよう! と、取りかかったのはいいものの、名簿によって、「助」が「介」だったり、「右衛門」が「左衛門」だったり。でもこれくらいはかわいいもので(かわいくないが)、上下がずれていたり、明らかな誤植が多かったり、さらに複数の誤植の名簿を合体したり。もう、どれが一次情報なのか、活字本ではわかりません。でもって、原文書を調べると、これも結構いい加減で、最後に墓地を調べてみると、複数墓石がある場合は、それらが相反していたり、と、なかなか難しい状態です。
1.『幕末維新全殉難者名鑑 一〜四』
明田鉄男編 発行者:新人物往来者 昭和61年発行
「維新動乱期殉難者一万八千四百七十二人の全事歴を収録」とあり、嘉永6(1853)年から明治4(1871)年の諸事件ごとの全国の殉難者を記載した全集的な本です。五十音順索引もあるので、まずはこれで調べます。この本の調査は「現地に行き、関係市町村教育委員会、県郡市町村史編纂部局、図書館、博物館、郷土資料館、郷土史研究家に面接調査」とあるので、かなりの情報が集まっていることは確かですが、上述したように、間違いもそのまま収録されていることに注意しましょう。鵜呑みにせず、手がかりとして使いませう。尚、「殉難者」の名簿ですから、凱旋者は基本的に掲載されません。「おじいさんのおじいさんが、幕末に○○に戦いに行って帰ってきたと聞いているが、載っているだろうか?」という場合は、ヒットしません。
2.『防長維新関係者要覧』
田村哲夫編 発行者:山口県地方史学会 昭和44年発行
平成7年にマツノ書店より復刻 127頁
底本は@「旧長藩殉難者名録(時山弥八編)」、A「旧長藩名士病死者人名録(時山弥八編)」、B「近世防長人名辞典(吉田祥朔編)」の他、C毛利家文庫の諸隊一件、藩臣履歴類、祭祀、諸省、賞典、およびD山口県庁記録やE山口県史料であり、これらの中から関係者を集めた気の遠くなるような作業の末に作成されたものです。@〜Bに記載ミスや活版印刷の作業中の誤植と思われる記述が多いのですが、本書ではこれらがある程度修正され、特にC〜Eが集められていることがGoodです。ただし、この時期は一次史料からミスがありますので、注意が必要ではあります。
3.『山口県小学校の系譜』
田村哲夫編 発行者:風説社 昭和48年発行 149頁
底本は「山口県教育沿革史草稿」、「県学事録」、「官省進達録」、「文部省年報」他であり、明治初年の史料をまとめたものですが、山口県内の各地で幕末期に寺子屋を開いていた人物の名前が記載されており、それがどのように小学校につながっていくかをわかりやすく表にした本です。「うちの先祖は寺子屋の先生だった」という言い伝えがある方、どれくらいの確率でヒットするか分かりませんが、一見の本です。
●その他、主要な活字本
1.『萩藩閥閲録』 (ばつえつろくと読みます)
山口県文書館編 発行者: 昭和42年発行 全5巻 後にマツノ書店が復刻
萩藩の歴史学者の永田政純が藩主毛利吉元の命を受け、藩内の諸家が所蔵している文書や系譜を調査、掲載した古文書集です。調査は享保5(1720)年から6年間をかけて行われました。諸家が所蔵している文書とは?多くは「判物(はんもつ)」といわれるもので、例えば、毛利家に仕える前に、武田家に使えていて、その時の戦功に対する感謝状であったり、どこそこの領地を授ける、というような、今で言えば辞令のようなものです。よって、判物はその家が誰に仕え、どのような功績を挙げたかということが判る家の履歴書であり、宝です。江戸時代中期に藩によってその所在調査が行われ、現在に残っていることになります。今はその家が判物を紛失してしまっていても、閥閲録編纂の調査で確認されていた場合は、現在、活字化された閥閲録で見ることができます。また、今でも判物をお持ちの家があったとしたら、それは今から約290年前に編纂された閥閲録の一次史料ということになります。
ここに掲載されているのは藩士に限らず、陪臣や社寺、農商家も含まれています。「戦国時代は○○氏に仕えていたが、江戸時代は庄屋になった」という家で、当時判物を伝えていた場合は、閥閲録で調べられることになります。
2.『防長風土注進案』
山口県文書館編 発行者:山口県立山口図書館 昭和40年発行 全21巻
後にマツノ書店が復刻
天保13(1842)年に藩主毛利敬親(たかちか)が近藤芳樹に命じて編纂させたもので、萩藩領全域の村別の地誌(風土記)です。調査は天保末年(1840頃)から嘉永4(1851)に行われ、一つ一つの村について事細かに当時の状況の他、由来や風土などが記載されています。
ただし、当時の調査の限界や言い伝えを書いたところもあり、「注進案に書いてあるから、絶対に...」といえるものでは無いと考えます。
実名情報として興味深いのは、それぞれの村に住んでいた藩士や陪臣についての記載があることです。
この情報をデジタル化し、検索できるようにしたのが、
本ホームページの「在郷諸士/陪臣データベース」です。
3.『近世防長人名辞典』
吉田祥朔編 山口県教育委員会発行 昭和32年発行
萩藩成立前後から明治初年までの防長(山口県)出身の著名人について解説した辞典です。どこまでの著名人が対象にされたのか、そのあたりは判りませんが、思わぬ人が載っていたり、思わぬ事実があったりして、結構楽しめます(私みたいな人には)。
4.『山口県史』
現在、刊行中!
山口県の県史編さん室による古代から現代までの県史の集大成で、毎年数冊が刊行されています。
現在は資料編が続々刊行されていますが、諸隊の名簿や中世の判物、幕末の諸士の動向など、実名情報はあちこちに見られます。丹念に目を通していくと、目的の人物に出会えるかも。
5.『もりのしげり』
時山弥八著 大正5年発行
これは実名情報が書かれた本ではありませんが、毛利一族の系譜や藩内の階級、歴史年表、諸隊の名前など、多くの萩藩の情報が掲載されています。ただし、鵜呑みは禁物。「もりのしげりにあるから」といっても、そのまま信用できないと思えることは結構あります。
6.『山口県近世史研究要覧』
石川卓美編 マツノ書店発行 昭和51年発行 339頁
巻末に、在郷諸士や給領主の情報がありますが、近世の萩藩に関わる用語の意味を知るには便利な一冊です。ただし、鵜呑みは禁物。実態を細かく調べると、テーマによっては「ん?」というものもあります。しかし、便利な一冊。