山口市の『でものや』で一枚500円で買ったふすま×2>


山口市内の『でものや』でふすまを2枚買いました。古びたもので、表面の柄もぜんぜんおもしろくないもので、それでも裏打ちに何かあるかも...という興味と1枚500円という価格から、思い切って購入しました。


<一枚目> 両全教社???



早速さばいてみたものの、裏打ちはそれほどされていなく、少しがっかりしました。

一枚一枚アイロンがけをして眺めたものの、何なのかさっぱり分からない。




明治19年という日付が見える。右の文書の「両全教社山口分局」とはなんだ?左の罫紙の中央部にも「両全教社本局」という文字が見える。


「帰省願」というものが出てきた。

「本校事務所」が宛先になっている。両全教社とは学校か何かか??
確かに

「尋常壱年(一年)甲」のクラスの習字と音読の点数と平均点が書かれた文書が出てきた。
小学校の習字の手本書も出てきた。

でも....どんな学校だったのだろう???
法話会の規則というものも出てきました。


 それから時は流れ(10年以上)、両全教社については何も情報がないまま、この古文書は私のクリヤーファイルの中で眠っていました(今でもですが...)。 ある日、何気なく「両全教社」をGoogleで検索。何とヒット!

南山大学の図書館紀要(第七号、19〜30頁、2001)の解説論文に「排耶書『護国新論』、「耶蘇教の無道理』にみる真宗本願寺派の排耶運動」というものがありました。(著者:小林志保氏、栗山義久氏)。

そしてこの論文の年表の中に、黙雷(島地黙雷)と鉄然(大州鉄然)が白蓮社と両全教社を設立したことが書かれていたのです。両全教社がどのような目的で設立されたかは分かったとしても、その運用の実態を示す史料はおそらく残ってはいないでしょう。


<二枚目> ???

 二枚目のふすまの裏打ちはさらに貧弱で、まとまりの無いものでした。あるお寺の信徒の履歴書が数枚、頼母関係の書類の断片、土地関係の書類が1枚というかんじ。山本という家のものらしいことは分かりましたが、文書間の関係は全く不明。
 
さらに.....

これはなんだ?????


ところが、平成22年に

「ふすまから出てきた謎の50音表は、明治時代の速記の50音です。田鎖系諸案です。」というメールをいただきました。

速記道楽」というホームページを開設されておられる方からでした。


『でものや』で500円で買ったふすまのなかの古文書の意味が判るなんて、と、インターネットの良い面を認識した出来事でした。


しかし、これらの文書をどう活かすか? 私がクリヤーブックに入れていても、意味がないでしょう。