萩市近郊の旧家から戴いたふすま (その4)
最後の3枚のふすまもはがしました!
今回は中央が明かり取りになっている3枚を一気にはがした報告です。
まずは1枚目... | |
予想通り、漢文調の印刷物。国史などの書物を貼り付けたようでした。 それも、重ねて貼ってあるのではなく、一枚のみ。 |
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厚く丈夫にするために下張りをするんではないのか? 古文書収集をする者にとっては、少々不満。 ...本末転倒? |
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大半はなんなくはがれた。 | |
はいだ文書はバケツに回収。 |
これは少し違うぞ。 「算法小學 前編七」とある。 すなわち、小学校の算数の教科書 明治時代のよう。 結構、難しい分数の問題だ。 何年生の問題だろうか? |
この次のページの応用問題はかなり難しい問題でした。例えば、応用問題の第7問
(七)牛馬ともに道を行くある馬者既尓総距離の九分之七を過ぎし尓牛者其七十二分の十四を行けり然る時ハ馬の速奈ること牛尓幾倍せるや
者→「は」、「尓」→「に」、「奈」→な であることに注意して、現代文にすると、
(7)馬と牛が共に道を行きます。ある馬は既に(目的地までの)総距離の7/9を過ぎたときに、牛は14/72のところを行っていました。このとき、馬は牛の何倍速いでしょうか。
現代文は、「馬は牛の何倍速いでしょうか」だが、昔は、「馬のすみやかなること、牛に幾倍せるや」となり、何だかかっこいい!
で、どうやって解くんだ? 全行程が72kmと考えるとわかりやすい。
馬が72×7÷9=56km進んだときに、牛は14km。よって、56÷14=4 答え:4倍
なんだ、簡単な問題じゃないか。しかし、全行程の7/9とか、14/72とかいう計算が、実用的な問題といえるのか? 今も昔も、何のための学問か?
ついつい、文書をはがすときに、書いてあることに気を取られ、はがすことを忘れてしまうのでした。
筆算や願い状など、結構楽しめた。 |
さあ、次行ってみよう! | |
これも漢文調、と思いきや、上の方は江戸時代の書状でした。 |
おお! これぞ、武家文書! この文書に登場するのはすべて藩士で、これまでのふすまで見られた清水氏やその家来とは全く関係のないものです。これはいったい? |
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嘉永元年(1848年)、明治元年の20年前)に尾崎孫左衛門が阿武九郎兵衛、上領宗右衛門、黒門五郎兵衛に宛てた願い状でした。この4名は萩藩士(無給通)です。 前書きの通り、申し出たので、よろしくと書いている 国司助十郎 は、萩藩士(大組、禄高285石)です。 そして、左側の3人の名前 毛(毛利)筑前は一門 右田毛利家 禄高16,023石 毛(毛利)能登は一門 厚狭毛利家 禄高 6,696石 益(益田)玄蕃は永代家老 禄高12,063石 です。 |
さらに、 五五十十九十ト五十九八 などと、延々数字が書かれた文書。 数字の横に時々片仮名で、 「ツンソツテシャ」、「シャツニツテトン」などと書いてある。 もしかして、これは三味線の 楽譜?? |
そして最後の1枚
最後を飾ってくれるか? |
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と思いきや、平凡なフライ、漢文調の印刷文書だった。 | |
はがれなかった文書は水中へ。今回は少なかったので、アイロンがけもすぐに終わりました。 | |
結局、今回の収穫は...
バケツに3杯 ♪ |
これで終わりか....、と何だか少し寂しくなりました。
このふすまをいただいた旧家に関する文書もいくつか出てきて、これはご当主にお返ししました。
「小学生の絵も出ましたよ!」と話したのですが、「これはあまり値打ちがないねぇ」とかわされてしまいました。
でも、本当におもしろいふすま達でした。